「ありのままの私」と「なりたい自分」は両立できるのだろうか。
MBTI診断からはじまり、動物占いや占星術、
漢方の体質診断カウンセリングなどを通して、ぼんやり見えてきた私らしさ。
自己理解ツールは、心身の状態や根本的な繋がりを知ることができるし
「なんでこうなっちゃうの!?」
「これだから私ってやつは・・・」
とポンコツな自分を嫌いになりそうな時に、良き理解者でいてくれる。
おかげさまで
「この時期は気圧のせいで心身ともにゆらぎやすいから仕方ない!」
とか
「こういう星回りだからね、うん、宇宙には敵わないよね!」
と、かなり都合よく解釈させてもらっている。
でもたまに
「私はこういうタイプだから」
と可能性に蓋を閉めて、自ら鍵をかけてしまっているんじゃないかと思うこともある。
INFJ(内向型)の私はENFJ(外向型)にはなれないのか?
十人十色という言葉があるように、同じINFJでも性格や趣味、価値観が100%完全に一致する人はいないと思う。
働いている時と、休日にまったり過ごしている時では、少しモードが違うように、同じ自分であっても環境や心身の状態、誰と過ごすかによって違う顔がある。
あくまでもMBTI診断の結果は「傾向」として、回答した今の自分に一番近いタイプが表示されているのだろう。
つまり
「なんとなーく今はINFJっぽいよ〜。」
「でもENFJにもなりうるし、もはや全くどのタイプにもあてはまらないかもね☆キランッ」
くらい気楽な受け取り方の方がいいのかもしれない。
自分自身に「INFJ」という刻印を押してしまうのではなく、鉛筆で下書きしておいて、いつでも消して書き直せるくらい、ふわっと柔軟な状態でいられるといいな。
「ありのままの私」を保ちながら「なりたい自分」を目指すには
いつでも自由自在に書き直せるなら、どんな自分になりたいんだろう。
きっと「社長になりたい」「〇〇さんみたいになりたい」のように、職業や固有名詞が入る「何になりたいか(become)」ではなく、
心の状態や生き方などの「どんな自分で在りたいか(being)」が大事なんだと思う。
「社長になりたい」としたら、社長ってどんなイメージ?
どうして社長になりたいの?
それは大事な家族を守るため?
お金持ちになれるから?
自由を手にいれるため?
仮に「家族が病気になったことがきっかけで、自分が大黒柱になって支えなきゃと思った」ことがきっかけなのであれば、自分にとって「大黒柱」はどんな意味を持つのだろう。
治療費などを賄うために安定した収入を得ること?
それとも、家族に心理的な安心感を与えられる存在?
それなら・・・・
と細かく噛み砕いていくと、纏っていた鎧がどんどん外されて、自分にとって本当に大事なものが見えてくる。
最終的に「社長になりたい」と願っていたのではなく、「心身ともに健康で家族に安心感を与えられる、心に余裕のある愛情深い母でいたい」と思っていたことに気づくかもしれない。
結局「なりたい自分になる」ためには、自分の核や人生観を知るのが先なわけだ。
ということは「自分の大事にしたいもの」を理解した上で、「どんな状態でいたいのか」を軸にして考えれば、「ありのままの私」と「なりたい自分」は両立できるのかも?
うーん、どうだろう。
少なくとも不安や恐れ、自己否定から「自分とは全く違う別の存在」を目指すのではなく、「ありのままの私」を受け入れつつほんの少し余白を残せるといいな。
私が私らしく、のびのび生きるための余白。
これを「のびしろ」と呼ぶことにして、今日も私に期待しよう。



