雨の日はいつも幼稚園に行くのが嫌だった
まだ幼かったころ、雨の日はいつも幼稚園に行くのが嫌で嫌で仕方なかった。
雨が降るとなんとなく寂しくなるからなのか。なぜあんなに行きたくなかったのか自分でもわからない。
その当時母には「先生やクラス全員で、決められた同じ遊びをしなければいけないから嫌だ」と言っていたらしい。
明確な理由はわからないまま、大人になった今でも雨の日は憂鬱で心細い気持ちになる。
WWOOFer生活中のある日のこと
北海道での生活は毎朝野菜やハーブ、植物に水をあげてから1日が始まる。
この水やり作業ひとつでも決して簡単とはいえない。
当日や次の日の天気予報をチェック、土の状態、水分量やどんな虫が近くにいるか、そして植物の葉や根の状態はどうか確認しながら調整していく。
そんなある日のこと。この日は朝から土砂降り。
いつもの水やりや外での作業ができず、しばらく窓際でぼんやり雨の様子を眺めていると昔幼稚園の先生に言われた言葉を思い出した。
「雨が降らなければお野菜やお花は育たないのよ。雨は私たちの暮らしに欠かせない大切なものなの。」
北海道に来て生まれて初めてガーデニングや畑仕事をして、
全身泥だらけになりながらいつもより自然と近い距離で生活をして、やっと、
やっとこの言葉の意味を感じることができた。
東京で暮らしているといつも時間に追われて、野菜やお米、食パンや原料の小麦粉・・
今日の朝ごはんがどんな環境で育ったのか。
どのくらいの時間をかけて、どんな人たちの愛情を受けて今私の手元にあるのか。
なんてところまで思いを馳せる余裕がない。
私たちが毎日当たり前のように食べているものはすべて自然の恵み。
毎日収穫できる量も大きさも形も違う。
雨が降らなければ、その雨をきれいに処理してくれる方がいなければ、綺麗なお水すら飲めないかもしれない。
そう思った瞬間、人生で初めて雨を「美しい」と思えた。
自分の心もこの地球もすべて洗い流してクリアにしてくれているような。
愛おしいと感じた雨。
潤いと活力を与えてくれているような清らかな気持ちになった。
経験を通して深まる感性と言葉
そういえばこの言葉をくれた担任の先生も素敵なお花の名前のついた人だった。
小さな私は「お野菜なんて嫌いだもーん。」そう思って受け流していたのかな。
この瞬間まであの言葉の意味を全然理解していないままだった。
理解していないことにすら気づけていなかった。
雨の日が大嫌いで幼稚園に行きたくない病だった私は、あっという間に長い学生生活を終えて、社会人生活になった。
歳を重ねるごとに素敵な出会いやご縁に恵まれたおかげで数えきれなほどの学びがあった。
だからこそ今このタイミングで心が動いたんだと思う。
同じ景色や同じ言葉を見つめても経験や環境、その時々によって見える色や捉え方、角度も深さもきっと違うんだろうなぁ。
まだ「雨の日が大好き!」とは言い切れないけど、いつか好きになる日が来るんだろうか。
これからも私にとって”雨”がどんな存在になっていくのか、心の変化や動きを見守っていきたいな。
そしていつまでもこの心だけは失わないように、大切に育んでいきたい。