「自分らしく生きたい」
そう思っているのに、肝心の「自分らしさ」がわからない。
自己分析をしてみたり、MBTIやHSPについて調べてみたり、本を読んだり、ノートに気持ちを書き出してみたり……。
それでも「これが私です」と言えるものが見つからなくて、「自分には何もないのかもしれない」と焦ってしまうことはありませんか?
私自身も、長い間その答えを探し続けて、少し疲れてしまった経験があります。
そもそも、「自分らしさ」とは何なのでしょうか。
どこか遠くにある、一度見つけたら終わりの「正解」のようなものなのでしょうか。
答えを探すのをやめたとき、私が気づいたのは「自分らしさとは、人生の中で少しずつ変わり、育っていくもの」だということでした。
この記事では、私がデンマークの暮らしで気づいたことや、自分探しの旅の中で見えてきた「自分らしさとの向き合い方」を、経験を交えてお話しします。
今「自分らしさがわからない」と迷っているあなたの心が、少しでも軽くなりますように。
ハーブティでも飲みながら、のんびり一緒に考えてみてもらえたら嬉しいです。
自分らしさがわからなくなるのは、自然なこと
「自分らしく生きよう」という言葉を、以前よりもたくさん見かけるようになりました。
だからこそ、私たちは「自分らしさ」を見つけなければいけないような、不思議なプレッシャーを感じることがあります。
周りはみんな「答え」を持っているように見えるけれど
自分のことがわからなくなるとき、周りの人がとても眩しく見えることがありました。
「私はこういう人です。」
「これが私の強みです。」
「これが私のやりたいことです。」
とはっきり言葉にして発信できている人を見ると、「それに比べて私は・・・」と自分だけが立ち止まっているような気持ちになることもありました。
でも、本当にそうなのでしょうか。
もしかすると、周りの人も同じように迷いながら、その時点で言葉にできるものを少しずつ見つけているだけなのかもしれません。
人の内側は、外からはなかなかわからないもの。
自信がありそうに見える人も、自分なりの迷いや葛藤を抱えていることがあります。
それなのに私たちは、つい誰かの「見えている部分」と、自分の「まだ言葉になっていない部分」を比べてしまいます。
だからこそ「みんなは自分らしさを知っているのに、自分だけわからない」と感じてしまうことがあるのかもしれません。
けれど、自分らしさに言葉を与えていくまでの道のりは、きっと人それぞれ違う。
今はまだ、うまく言葉にできないだけなのかもしれません。
「自分らしく生きたい」と思うほど迷ってしまう
「自分らしく生きたい。」
この言葉そのものは、とても素敵な願いだと思います。私自身も、ずっとそう思ってきました。
でも、ときどきその願いが自分を苦しくさせてしまうことがあります。
「自分らしさを見つけなければ。」
「まだ本当の自分に出会えていないのかもしれない。」
と思えば思うほど、かえって自分がわからなくなってしまうことがあるのです。
以前は「自分らしさ」がどこかにあって、いつか必ず見つかる答えのように感じていました。
だから自己分析をしたり、本を読んだり、いろいろな方法で自分を知ろうとしていました。
もちろん、それらは決して無駄ではないはず・・・
けれど、「早く答えを見つけなければ」と焦っているときほど、自分の声は聞こえにくくなるのかもしれません。
でもそんなときに覚えていて欲しいことが一つあります。
自分らしさがわからない時間は、自分が空っぽだからではなく、自分と向き合っている旅の途中だということ。
「本当の自分」を探し続けて、少し疲れてしまうことがある
自分らしさについて深く見つめていると、「私はこういう人です」と言い切れる、わかりやすい言葉がほしくなることがあります。
好きなもの、得意なこと、価値観や性格。
何か一つでも、自分をきれいに説明できるものがあれば安心できる気がする。
「これが私です」と言える言葉があれば、もっと迷わずに生きていけるような気がする。
ずっとそんな言葉を探していました。
自分を知りたいと思うのは、決して悪いことではありません。
ただ、その答えを急ぎすぎると、自分をひとつの言葉の枠の中だけに、閉じ込めてしまうこともあるのかもしれません。
「本当の自分」という正解が、どこかにある気がして
以前の私は、「本当の自分」がどこかにあるような気がしていました。
まだ出会えていないだけで、どこかに正解がある。
それを見つけることができたら、もっと楽に、自分らしく生きることができるはず。
そう思いながら新しい本を読んだり、誰かの言葉に答えを探したり、自分について問い続けていました。
でも、いくら探しても「これだ!」と言い切れる答えは見つかりませんでした。
今振り返ってみると、それは当たり前のことだったのかもしれません。
なぜなら、人は一つの言葉では表せないほど複雑で、少しずつ変化しながら生きている存在だから。
きっと「本当の自分」が見つからなかったのではなく、存在しない「一つの答え」を求めてしまっていただけなのだと思います。
自己分析や性格診断は、自分と対話するための入り口
ここまで読んでくださったあなたは、私のように自分の内側と向き合う時間が好きで、自己分析ツールや、漢方の体質診断、星読みなどを通して、「私はどんな人間なんだろう」とよく考えているかもしれません。
だからこそ、私もMBTIに出会ったときには、とても救われた感覚がありました。
「だから私はこう感じやすかったんだ。」
「だから、こんなことに疲れやすかったんだ。」
今までうまく説明できなかった自分の輪郭に、優しい言葉が与えられたような気がしました。
でも、いつからかその安心は「もっと知りたい」という気持ちに変わっていきました。
本当に私はこのタイプなのだろうか。
もっとしっくりくる説明があるのではないか。
まだ知らない自分がいるのではないか。
気づけば「正しい自分のタイプ」を探し続けて、少し疲れてしまったこともあります。
もちろん、自己分析や性格診断が悪いわけではなく、このようなツールは自分を理解するための大切なヒントになると思います。
ただ「正解や答えを見つけるためのもの」としてではなく、「自分と対話するための入り口」として使ってみることが大切なのだと感じています。
もし今、当時の私と同じように、少し自分を知ることに疲れてしまっているという方がいたら、以前書いたこちらの記事もそっと置いておきますね。
👉「MBTIに疲れたあなたへ|「私は何タイプ?」を探し続けて苦しくなったときに読んでほしいこと」
ーーもしかすると、私たちが探している「自分らしさ」は、一度見つけたら終わりの答えではないのかもしれません。
そう感じたのは、昔の自分と今の自分では、大切にしたいことも、心地よいと感じるものも、少しずつ変わっていることに気づいたからでした。
「自分らしさ」とは、「変わり続けていくもの」

大切にしたいことは人生の中で変わっていく
かつての私は、「自分らしさ」とは変わらないものだと思っていました。
一度見つけたら、ずっと同じ形のまま在り続けるもの、というイメージがあったのです。
でも、これまでの人生を振り返ってみると、大切にしたいことはゆるやかに変わってきました。
学生の頃に大切だったもの。
新入社員のときに、必死に追いかけていたもの。
デンマークで暮らしていた頃に、大切だと気づいたもの。
そして、今神戸で暮らす私が、何よりも愛おしいと思っているもの。
それぞれを並べてみると、どこか違っています。
あの頃は頑張ることに価値を感じていたのに、今は無理をしないことを大切にしたい。
「何者かにならなければ」と焦っていたのに、今は「心地よく生きること」を大切にしたい。
人との出会いや経験、環境の変化によって、私たちは少しずつ変わっていきます。
もしそうなら、自分らしさもまた、季節がめぐるように変わっていくものなのかもしれません。
いま、この瞬間の「心地よさ」を何度でも見つめ直す
そう強く実感したのは、デンマークから帰国したばかりの頃でした。
私は自分の価値観がすっかり変わってしまっていることに、少し戸惑っていたのです。
昔なら当たり前だった都会のスピード感や、たくさんのモノに囲まれる生活が、どこかしっくりこない。
反対に、今まで気にも留めていなかったことに、心が惹かれるようになっていました。
静かな時間を大切にしたくなったり、誰かと深く話す時間に安心を感じたり。
朝、温かい飲み物を淹れるような、小さな暮らしの営みに幸せを感じたり。
それは、これまでの自分とは、ほんの少し違う感覚でした。
そのときに思ったのです。
自分らしさとは、「変わらない何か」を見つけて必死に守り続けることではなく、いまこの瞬間の自分が「何に心地よさを感じているのか」を、何度でも見つめ直していくことなのかもしれない、と。
私たちは、常に変わりゆく存在です。
だから、「昔の自分らしさ」という過去の型に、今の自分を無理に合わせなくてもいい。
今のあなたにとっての心地よさを、これからも何度でも、新しく見つけ直していけばいいのだと思います。
そして、そんなふうに美しい変容を続ける人たちと出会ったことで、私はもう一つ、大切なことを教えてもらいました。
ーーそれは、人は一つの言葉やラベルでは、決して表しきれないということ。
デンマークで出会った友人たちが教えてくれたこと
人は一つの言葉で表せないからこそ、愛おしい
デンマークのフォルケホイスコーレで、初めて自己紹介のプレゼンテーションをした日のことを、今でもよく覚えています。
私はいつものように、「ちゃんとした自己紹介をしなければ」と緊張していました。
どんな順番で話そう。
どんな写真を使おう。
どうしたら「私」という人間をわかりやすく伝えられるだろう。
でも、結局うまくまとめきれないまま、発表の時間がやってきました。
今思うと、あのときの私は、「これが私です」ときれいに説明できる自分を作ろうとしていたのかもしれません。
けれど、未完成のまま話した私のことを、彼らは優しくそのまま受け止めてくれました。
そして、学校で出会った友人たちもまた、たった一つの言葉では表しきれない人ばかりでした。
静かなのに、とても情熱的な人。
自由に見えるのに、とても繊細な人。
いつも笑っているのに、誰よりも深く考えている人。
「白が200色ある」と言われるように、一緒に過ごすほど、人にもたったひとつの枠には収まらないほどの繊細さや豊かさがあるのだと感じる瞬間が、何度もありました。
人は、相反するものを同時に抱えながら生きている。
だからこそ、面白くて、あたたかくて、魅力的なのかもしれません。
そして、それは私自身も同じなのだと、深く腑に落ちました。
「私は○○な人です」と、無理に決めなくてもいい
デンマークで出会った友人たちは、誰一人として一つの枠の中に収まる存在ではありませんでした。
むしろ、その曖昧さや変化を自然に受け入れながら、自分の人生をのびのび生きているように感じたのです。
その姿を見て、「私は○○な人です」と無理に型にはめなくてもいいのかもしれない、と思うようになりました。
今日は一人の時間を大切にしたい自分。
明日は少し勇気を出して、新しいことに挑戦してみたい自分。
誰かといるときの自分も、一人でいるときの自分も、どちらも私。
そんなふうに、いくつもの自分を抱きしめながら生きていてもいい。
自分らしさとは、一枚の名札のようなものではなく、そのときどきの自分を丁寧に確かめながら、時間をかけて育っていくもの。
それでも、不思議なことに、変わり続ける私たちの中には、ずっと変わらずに残り続けているものもあるように感じています。
うまく言葉にはできないけれど、いつも静かにそこにあるもの。
それは、その人らしさの「種」のようなものなのかもしれません。
それでも、私たちは唯一無二の種を持っている

人は変わり続ける存在。
だから、「これが私です」と言い切れる答えを外側に見つけることは、思っているよりも難しいのかもしれません。
けれどその一方で、形を変えながらも、ずっと自分の中に残り続けているものがあるようにも感じています。
それは、誰かと比べられるような特別な才能ではありません。
もっと静かで、小さなもの。
気づけば何度も繰り返していること。
なぜか心が惹かれてしまうもの。
うまく説明はできないけれど、大切にしたいと思うもの。
そんな愛おしい日々の中に、その人らしさの「種」が眠っているのかもしれません。
そしてその種は、どこか遠くへ探しにいかなければ手に入らないものではなく、もともと自分の中にあるものなのだと思います。
昔から、なぜか繰り返してしまうこと
振り返ってみると、私は昔から人の話を聞くことが好きでした。
どうしてその人はそう感じたのだろう。
何を大切にして生きているのだろう。
そんなことに、自然と興味が向いていました。
当時は、それが自分らしさにつながるものだとは思いもしませんでした。
むしろ自分にとって当たり前すぎて、特別なことだとも感じていなかったのです。
でもこれまでの人生を俯瞰してみると、不思議なくらい何度も同じ場所に戻ってきていることに気づきます。
人の話に耳を傾けること。
言葉を通して心を見つめること。
きっと「自分らしさ」とは、何か新しいものを見つけることではなく、ずっと前から自分の中にあった「当たり前」を、思い出していくこと。
理由はわからないのに、心が惹かれていたもの
振り返ってみると、私は昔から、「人の内側」に強く惹かれていた気がします。
性格や価値観の違い、人が何を心地よいと感じるのかということ。
そして、「その人らしさ」とは何なのかということ・・・
小学生の頃、道徳の授業で「心のノート」を書く時間が好きでした。
自分の気持ちをじっくり考えたり、友達が今どんなことを感じているのかを想像したりする時間に、なぜか強く心を奪われていたのです。
だからこそ、MBTIに出会ったときも、デンマークのフォルケホイスコーレ留学中も、このブログで「自己理解」や「自分らしさ」というテーマで文章を綴っていることも、すべてが自然な選択でした。
そのときはなぜそんなに惹かれるのか、自分でもよくわかっていませんでした。
でも今振り返ると、散らばっていた点と点が、きれいな一本の線になっているように思います。
私たちは頭で一生懸命選んでいるようでいて、実は心が知っている方向へ、ちゃんと一歩ずつ歩いているのかもしれません。
説明はできないけれど、大切にしたいものがある
そしてきっと、この記事を読んでくださっているあなたの中にも、理由はうまく説明できないけれど、「これだけは大切にしたい」と感じるものがあるのではないでしょうか。
私にとっては、対話をすること。自分を知ろうとすること。そして、安心できる人や環境の中で、心地よく生きることでした。
それは年齢を重ねても、暮らす場所が変わっても、形を変えながらずっと私の中に流れ続けているもの。
自分らしさとは、特別な才能を見つけることではなく、自分の中に静かに息づいている小さな種に気づき、それを丁寧に愛情を注ぎながら育てていくこと。
そんなふうに考えると、「まだ自分らしさがわからない」と立ち止まっている時間も、決して遠回りではないはずです。
その時間もまた、土の下で静かに、あなたという唯一無二の種を育てている大切な時間なのだと思うのです。
「自分らしさとは、思い出していくものなのかもしれない」と感じた理由
「自分らしさ」や「強み」は、まだ出会えていない外側のどこかにあるもの。
だから、もっと自分を知れば見つかるかもしれない。
もっと深く自己分析をすれば、「これが私です」と言える答えに辿り着けるかもしれない。
そんな気持ちで、長い間、自分を探し続けてた私に、自分の特性を客観的に知る機会が訪れました。
そこで教えてもらったことの多くは、「まだ見ぬ知らない自分」ではありませんでした。
むしろ、
「ああ、やっぱりそうなんだ。」
「だから昔から、こういうことに惹かれてきたんだ。」
と、どこか懐かしい感覚だったのです。
人の気持ちや内側に興味を持つこと。
一人で深く考える時間。
言葉を通して、自分や誰かを理解しようとすること。
どれも自分にとってはあまりにも当たり前すぎて、強みだとは思っていませんでした。
でも客観的な視点を通して見つめ直したとき、それらはずっと前から私の中にあった「自分らしさの種」だったのだと気づかされたのです。
もちろん、それだけで自分のすべてがわかったわけではありません。
人はもっと複雑で、もっと自由な存在です。
それでも、自分では見過ごしていたものに光が当たったことで、「新しい自分を見つけた」というより、「あぁ、ずっとここにあったんだ」と、ほんの少し自分を信頼できるようになった気がします。
もし今あなたが「自分らしさがわからない」と感じているとしても、それはあなたの中に何もないからではありません。
ただ、あまりにも自然にそこにあるから、自分ではまだ気づいていないだけなのかもしれません。
自分では気づかなかった特性を見つめ直したことで、ずっとそこにあった「種」を思い出していく・・・そんな私の体験ついては、こちらの記事で詳しく綴っています。
👉「自分を知ることは、自分を思い出すことだった|chatGENE体験記」
まとめ:自分らしさは、これからもあなたと一緒にゆっくり育っていく
ここまで「自分らしさ」について、私自身の経験も交えながらのんびりと綴ってきました。
まとまりのない文章をつらつらと書き続けてしまいましたが、まずはここまで読んでくださってありがとうございます。
正直なところ、私は今も「これが私です」ときれいに言い切れる答えを持っているわけではありません。
今も変わり続けていますし、これから先、大切にしたいことや心地よさも少しずつ変わっていくのだと思います。
でも、それでいいのだと、今は思えるのです。
自分らしさとは、一度見つけたら終わりになる答えではなく、そのときどきの自分と何度も出会い直しながら、少しずつ育っていくもの。
うまく言葉にできない時期があってもいい。
自分がわからなくなってしまう日があってもいい。
遠回りをしているように感じる時間があってもいい。
その時間は、答えを見つけられていない時間ではなく、自分と静かに出会い直している、とても愛おしい時間なのだと思います。
もし今、「自分らしさがわからない」と感じているのなら、それは何もないということではなく、自分の中にある小さな種を、土の下でまだ静かに育てている途中。
焦らなくても大丈夫。
すぐに答えが見つからなくても大丈夫。
いつか振り返ったときに、「ああ、ここにも私らしさがあったんだ」と気づく日が来るはず。
その日まで、どうか今の自分も大切にしながら、ゆっくりと歩いていけますように。



